little star's memory

競プロ、なぞなぞ、その他

週記 ~継承~ (2024/01/12-2024/01/18)

どんなに美しい宝玉も、磨かなければ朽ち果ててしまう。受け継がれてきた先人たちの宝を、受け継ぐか朽ち果てさせるかは我々次第。

1/12

友人におはなしを送った。

3時就寝、10時起床。

地方を見捨てるという選択肢は残酷で採用されるとは思えないが、かといって莫大な金を投入して再生させるという可能性も低い。結局はどっちつかずの状態となり生かさず殺さずになるのではないだろうか。そうなればゆるやかに消滅するのを待つことになる。こういう構図は他にもいろいろな場所にある。障害を持った人も働ける世の中にしようと口では言っているが、実際には働ける人は少なく給料も安い。死にたいと願ってもこの国では安楽死制度は実現していない。こちらも生かさず殺さずである。どうにかならないのかな。

北陸新幹線の延伸で北陸に注目が集まってほしいと思っていたのに、悪い意味で注目されてしまった。悲しい。

『今を生きるための現代詩』を読み終えた。筆者の詩との出会いを元に詩とは何かを考える新書。自分が体験したあの感情はこういうことだったんだ、ということが詩を読むことでわかるかもしれないし、これから体験する感情を知ることができるかもしれない。詩というのは作者が伝えたい思いを梱包して、読者が荷ほどきするような単純なものではない。もっと深遠なものを掴もうと作者も読者も挑戦する。本文中でも数学者に例えているところがあったが、やはり数学にも似たようなところがあるのではないかと思う。例えば、アフィンルート系というものが見つかったころ、この背後には何か大きな理論があるのではないかと多くの数学者が考えていた。のちにKac-Moody代数が導入され、不思議なアフィンルート系の謎が解明された (裏取りちゃんとしてないので違うかも)。背後にあるまだ認知できない世界を知るために論理と数式で切り込んでいくのが数学で、言葉で切り込んでいくのが詩なのかもしれない。自分の知っている世界がすべてだと思っている人はぜひ数学か詩を始めてみよう。新しい世界が見えてくるはず。ぼくもいろいろな現代詩を読みたくなった。

人類学に関する記事を読んだ。現代社会がどう頑張っても解決できない貧富の格差や権力の集中といった問題を、未開社会の人々は解決できているということは興味深い。リーダーとされる人もいるがその人はすべてを分け与える存在とのことで、『くらしのアナキズム』で読んだ通りだなと思った。

note-infomart.jp

寝てた。

証明支援系であるLeanの動画がいろいろあった。Lean 4が正式リリースされてから触ってないな。そろそろちゃんと入門したい。

www.youtube.com

1/13

修論を直した。

山學ノオトを読み始めた。4まで出てたと思うけど持っているのは1のみ。東吉野村にある私設図書館ルチャ・リブロを運営する人々の日記。

ルチャ・リブロはその活動を「社会実験」と称してはいますが、真ん中にあるのは、あくまでこんな生産性のない日々です。

生産性のない暮らし、したい。「ゴールに向かって邁進するぞ!」と息巻く人も多いけど、そういうのってだいたいうまくいかないよね。とりあえず思いつくままにやっているとうまくいくこともある。一極集中については、いいこともあるけれどリスクもある、集中と分散を往復するのがよいといったことが書かれていた。

6時就寝、11時起床。少しずつ後ろにずれていく。

数学の動画を見た。グレイコードは小さな操作で二進列を全列挙できる。他にもこのようなアルゴリズムはいくつか知られていたが、これらを統一するような全列挙アルゴリズムが考えられた。面白かった。

youtu.be

河合隼雄氏は「何もしないことに全力をつくす」という言葉を強調されていたらしい。「何もしない」、最近いろいろな場面で見かける。甘美な響きだ。

ALGO ARTIS プログラミングコンテスト2023 冬(AtCoder Heuristic Contest 028)に参加した。久々の参加。面倒なことは嫌いなので単純に書ける範囲でなるべく高いスコアを出せる方法を考えた。簡単なDFS, BFSすら書けなくなっていて衰えを感じる。

atcoder.jp

寝てた。

AHCで水色になった。ろくなコード書いたことないのに水色にはなれるので、誰でもなれるんじゃないかな。焼きなましとかビームサーチも使ったことがない。ぼくにはあまり刺さらなかったのでヒューリスティックは今後やらないかも。アルゴは再開したいけどできるかな。

1/14

『臨床のフリコラージュ』の第四章を読んだ。これにて読了。かつて心理学ブームがあったが、次第に凋落していった。心理学を究めれば何でもわかると思われていたかもしれないが、心の不調の治すのに専門知識はいらないのではないかという風潮になりつつある。治療や投薬ではなく、雑談などをする。「ふつうの相談」が大切とはいえ、素人が何でもできるわけではない。素人性と専門性、この間で振り子が揺れている。この本を読んで心理職の仕事のイメージが変わったかもしれない。災害時にDPATが派遣されるけど、そこでの仕事が掃除や雑用ばかりで心理の仕事ができないという発言をSNSで見た。しかしこういう活動を通じて被災者と交流することも心理的に大切なのではないだろうか。知らんけど。

振り子のたとえがよく出てくる。「2つの地点を揺れ動くだけなのではなく、螺旋を描きながら上昇している」という表現もあった。周期関数 sin x がオイラーの等式を通じて指数関数とつながっている話を想起した。

4時就寝、10時起床。

マックを食べた。

納税拒否がトレンドに入ったらしい (トレンド非表示にしてるので本当なのか知らんけど)。アナキズムの本を読んだり、現代社会に息苦しさを感じたりしているので、気持ちはわからんでもない。個人的には納税の義務だけでなく勤労の義務もなくしてほしい (働きたくないので)。

1/15

3時就寝、10時起床。

ゼミがあった。修論締切まであとわずかだが、やらないといけないことが多い。間に合うのか。修論を提出した後は発表がある。できるだろうか。

松のやでロースミルフィーユかつを食べた。

寝てた。

修論を直した。

1/16

3時就寝、11時起床。

Misskey.ioでブラジルが流行っていた。なんで?こういうノリは正直好き。

本を買った。文庫本の方はサイン入りである。

ステーキを食べた。

寝てた。

ホロライブの夜空メルが契約解除になっていた。機密情報を漏洩したとのこと。ぼくがホロライブを離れたのは任天堂をはじめとした著作権問題の頃からだけど、どうしても倫理観の低さみたいなものを感じてしまう (ライバーのみならず会社全体で)。その後にも中国台湾問題やるしあ契約解除など大きな問題を起こしていた。それからは大きな炎上は観測していなかったけど、再発してしまいましたか。ファンはどう受け止めるのだろうか。契約解除というものの重大さを知らない人も多そう (ぼくも社会未経験なので知らんけど)。

ぼくがホロライブをよく見ていたのは2期生・3期生のころだけど、夜空メルはあまり見ていなかった。どうでもいいけど、「1期生がついに…」みたいな発言を見ると、もう1人1期生になるはずだった人がいたんですよと言いたくなる。

人類学をいろいろ調べているけど、格差を生まない工夫があるらしい。1人がカヌーの作り方を覚えるとその人に権力が集中するので、誰もカヌーの作り方を覚えようとしないという話があった。ということは、我々は社会をよくしようとして勉強して知識を仕入れているけど、それが格差の原因だったりする?カヌーの作り方でさえ拒まれるのだから、発展しすぎた現代数学の知識というのは本当に必要なのだろうか。わからなくなってきた。

人類学の調査対象の人々には「平等に貧しい」人たちがいる。先進国の人々は「貧しい人も豊かな人もいる」状態になっている。平等に豊かになることってできないのかな。「平等に貧しくなろう」と言った人もいるが、貧しくても幸せに暮らせるならそれでもいいのかもしれない。でもこの発言者は別荘を持っていて全然貧しくないので信頼できない。

1/17

修論を直した。

4時就寝、7時起床。

修論を提出!くぅ~疲れましたw これにて完結です!(まだ審査が残っている)

ミシマ社の雑誌「ちゃぶ台」を読み始めた。捨てないことを特集している。何でもかんでもゴミとして捨ててしまうのは環境に悪い。見方を変えればまだ資源として利用できるはずのものも捨ててしまっている。未来のために捨てるという行為を見直すべき時が来ている。これはゴミだけでなく人間にも言える。企業は人間にわずかでも変なところがあると切り捨ててしまう。人口も減っているので、代わりがいくらでもいるという文言は使えなくなった。今こそ人材の扱い方を見直すべき時である。持続可能でない企業に未来はない!

やはりこれまでの人事はいい加減に人材を扱ってきたのだなあ。以下のツイートを見かけたが、氷山の一角だと思う。

ヤング図形Tシャツが届いた。自分で作ったTシャツがたくさん。

寝てた。

競プロ界隈でまた不穏なことがあったらしい。競プロ界隈は1つの大きな集団を指すのではなく、各地に大小さまざまな村ができているという認識でいる。その村の1つが不穏なだけなのかな。

1/18

安楽死を巡る裁判が始まっている。最近出版された新書の影響なのか知らないけど安楽死反対派の声が大きくなっているように感じる (その新書はぼくも買った)。でも、安楽死は本来は末期症状の人たちのための制度のはず。こういう人たちが「もう苦しみたくない」と悲痛な声を上げても、「生きているだけで意味がある」というきれいごとで否定するのはどうかと思う。まずは当事者たちの声を聞くことから始めてほしい。まぁでも、日本人は礼儀正しいのに陰湿な民族なので、安楽死制度を導入したら大変なことになるという主張もわかる。

www.asahi.com

4時就寝、11時起床。

美術館に行った。健康で文化的な生活。

論理的に考えない人間を馬鹿にする人がいるが、人間の人間らしい部分は「論理的に考えないことができる」部分なのかもしれないと思った。

「恋愛もせず子孫も残さないのは生物的におかしい」と言う人がいるが、論理的にふるまわないといけなかったりお金を稼がないといけなかったりするなど、生物的におかしい行動を強制されている。恋愛をしなくなっているのはその影響かもしれない。恋愛をしないことだけを取り沙汰するのはどうなんだろう。