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いかにして数学で遊べるか ~『新百姓』の紹介と私見~

新百姓という雑誌をご存じだろうか。

新百姓は0号が2022年12月、1号が2023年5月に出来したばかりの新しい雑誌である。

この記事では新百姓の紹介を行い、筆者の専門である数学を交えた私見を述べる。

新百姓について

新百姓は一般社団法人新百姓が発行している雑誌である。公式サイトは以下に載せる。

www.paradigmshifter.net

ぜひサイトにある新百姓宣言を読んでみてほしい。

新百姓の定義を紹介する。

膨大な生命の連鎖の中で、生かされていることに感謝しながら、つくる喜びを大切にするヒト、その様。日々の衣食住から科学技術、芸術、物語の創造まで、あらゆる階層の創造行為を楽しむ。最先端のテクノロジーやシステムにも盲目的に依存するのではなく、積極的に学び、道具として活用する。

雑誌『新百姓』の中心的なテーマは「創造性の解放」である。自分たちの手でつくること、これを大切にしている。現在、服は自分で縫わなくても買えるし、水も自分で汲まなくても水道の蛇口をひねれば出てくる。便利な時代になったが、自分たちの手でつくるという機会が失われている。そこを取り戻そうというのが新百姓の目的の一つである。こう聞くと過去の時代に戻るのかと思うかもしれないが、そうではない。新百姓は現代のテクノロジーも用いるが、仕組みを知ろうとせず盲目的に使うのではない。

なぜ自分の手でつくるのか。例えば水道が止まっても自分の手で水を飲めるようにできれば大丈夫。選択肢を増やすことで安心感が生まれる。他にもいろいろ理由はあるが、一番の理由は楽しいからだろう。料理を作る、文章を書く、音楽を奏でる、といった様々な創造行為がある。それらは本来楽しい行為のはずだった。しかし現代的なものの見方では、完成度の高さや迅速さが第一とされている。この見方では、初心者が作ったものは完成度が低く出来の悪いものとみなされてしまう。これでは創造の楽しみが失われてしまう。ここにパラダイムシフトを起こして、作る喜びを第一としようというのが新百姓の目的の1つである。

そんな新百姓という雑誌だが、販売方法も変わっている。まず増刷をしない。取り扱う書店も限られている。一冊一冊の本を大切にしようということだろう。

0号 問う

もう完売しているらしく入手はできないと思われるが、0号の内容の一部を簡単に紹介する。

元京大総長の山極壽一氏、連続起業家の孫泰蔵氏などのインタビューが載っている。なぜ新百姓を立ち上げたのかという話もある。

1号 水をのむ

水を飲むことに関して歴史・伝統・科学など様々なアプローチから取り組み、お金なしでは水すら飲めなくなってしまった現代においてどうすれば水を飲むことを楽しめるかを追求する。

いかにして数学で遊べるか

ここからは個人的な意見を述べていく。

筆者は大学院で数学を専攻している。数学科では様々な定理の証明を学ぶ。なぜすでにわかっていることを証明するのだろうと思う人もいるかもしれない。ここで新百姓の定義を振り返ると、「最先端のテクノロジーやシステムにも盲目的に依存するのではなく、積極的に学び」とある。定理が成り立つ仕組みを知ろうとすることは、新百姓的な営みといえるだろう。

加えて、大学院では研究を行う。研究とはこれまでに知られていない定理を作り出す行為である。ここにも新百姓との類似点を感じた。

しかし相違点もある。普通の文章であれば少し間違っても大きく破綻することはないが、数学では少しでも論理的にミスがあるとすべてがダメになってしまう。完璧であることが要求されるのである。それゆえ自由に創作して楽しむということは難しい。

それでも数学においても創作は楽しいものだと信じている。数学者クロネッカーはこう述べている。

われわれの真の天職は詩人なのだ。ただ、自由につくりだしたものをあとで厳密に証明しなければならない。それがわれわれの宿命なのだ。

過去の偉大な数学者もすべてが完璧だったわけではない。ときに大胆な式変形を行った。そういった自由な発想が数学を進化させてきた。厳密さだけが数学のすべてではないと筆者は思う。

また、数学は役に立つのかという議論も頻繁に起こっている。「数学より世の中の役に立つものを教えるべきだ」「いや、数学は役に立つ」など様々な意見がある。それらの意見に共通しているのは、役に立つものは素晴らしく、役に立たないものはよくないという価値観ではないだろうか。たとえ役に立たないとしても、面白く、楽しく、人生を豊かにしてくれるものはたくさんあると思う。役に立たないという理由だけでこんなに楽しいものを諦めるのはもったいない。

数学を楽しむのは難しい。しかし数学の最先端に立って新たな定理を創造するのは楽しい行為のはずだ。だからこそ新百姓のように「いかにして数学で遊べるか」という問いを大切にしたい。

おわりに

以上が雑誌『新百姓』の紹介と私見である。

新百姓は雑誌以外にも様々な展開を予定している。少なくとも雑誌については続きを読みたいと思わされた。

筆者よりもこの雑誌を読むのに適した人がいると思うので、そういった人たちに届くようこの雑誌を広めてほしい。